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YUTAKA OZAKI GRAPHICS
初めてのロケーションは駒沢公園だった。ぼくはロックアーティストとしての尾崎豊をどう撮れば、その希有な魅力が伝わるのだろうかと考えながら、落ち着きのない足取りで園内を歩いていた。普通に撮れば、いい写真が撮れることは分かっていた。いや、むしろ、その何もしないでもかっこいい写真が撮れてしまうことこそが問題だったのだ。そうやって考えが定まらないまま、スタジアムの裏側まで行くと、落ち葉が吹きだまりになっているところがあった。それを見つけた瞬間、その上に横たわった彼の姿を撮りたいという気持ちが湧いた。ぼくは躊躇することなく言った。「尾崎くん、あの落ち葉の上に寝てくれるかな」「え、寝るんですか、あそこに……ですか」彼は不意を突かれて戸惑ったのか、そう聞き返してきた。「うん、そう。いいかな、ちょっと汚いかもしれないけど」すると「いや、やります。平気です」その声は弾んでいるように聞こえた。ぼくにしてもミュージシャンと呼ばれる人をそんな奇異な格好で撮るなんて、考えもしなかったことだった。落ち葉を払って起き上がった尾崎くんは、笑いながら言った。「嫌いな方じゃないみたいです、こういうの……」
ぼくの中では革命的な出来事だった、尾崎豊さんのデビューからファイナルアルバムまでのグラフィックワーク。それは自分のデザインや写真に対する恐怖を解放してくれる出会いの旅でもあった。アートディレクターとして絶好の表現素材に巡り合えた喜びもつかの間、ぼくはまず、考え方の焦点を定める強引さと、曖昧なまま放置しておく必然性を同時に学んだ。精一杯の低俗な美学もロックンロールには不可欠だと知った。そして輝かしい記録だけが不変なことなどあり得ないことを、意識下のデザインが暗示してしまうことも知ってしまうことになった。
1992年11月 田島照久