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Life Sized (1986)
何かの使用目的があってこのような撮影をしたわけではなかった。まずは面白そうなポーズを考えていたら、この胎児の格好になったのだ。このカットはビデオクリップ集「6 Pieces Of Story」のパッケージ用として使ったときにネガにしたことによって、よりいっそう胎内回帰しているように見えた。偶然なのだろうが、尾崎くんの撮影では写真としても彼の一生涯を表現していたのかもしれない。
シンボルマーク II (1985)
TEENBEAT BOX poster
TEENBEAT BOX CD BOX
52-page Booklet
尾崎豊、十代の集大成のボックスものを制作するにあたっては、アルバム「十七歳の地図」のカバーを撮影した時に、少し下の角度から撮っていたこの写真を使った。大人社会への反抗=脱走=Teenbeat。単純かもしれないが、このイメージは尾崎豊という人物を表現する際に真っ先に浮かんだ姿で、未だぼくの中で廃れることはないものだ。
"Birth" Album Cover (1990)
愛すべきものすべてに CD original image (1996)
ベストアルバム「愛すべきものすべてに」ではその特質からして、素直に彼のポートレイトを使った。背景の空に輝く月のイメージは彼のロックンロールの代表曲「Freeze Moon」からきているのだけど、尾崎豊そのものが、ぼくにとっても月のイメージには代りない。
愛すべきものすべてに CD original image 2 (1996)
回帰線 Album Cover (1985)
セカンドアルバムの「回帰線」のデザインプランは撮影の現場で思いついたものだ。天候に恵まれた日だったので、計画もなくロケーションに臨んだら、現場にあった人工の岩壁でこのおもしろいアングルの写真が撮れたのた。たぶん無意識に何か変わった撮り方をしたいと思っていたのだろう。このあたりから尾崎豊のアートディレクションが形を成し始め、その手応えを感じた仕事でもあった。ちなみにアルバムでは目線を外したものを使い、ポスターでは鋭い目線のものにしている。
回帰線 POSTER (1985)
十七歳の地図 Album front cover (1983)
バーンと予想以上の音がスタジオ内に響き渡った。ファーストアルバムの「十七歳の地図」は後にミリオンセラーを記録することになるのだが、デビューまでの尾崎くんのまわりの状況は地味なもので、そのアルバムカバーの撮影の日も、ぼくと彼と彼の事務所のスタッフがひとりの、寂しげな現場だった。必要なカットは合成用のジャンプポーズとプロモーション用のポートレイトを2、3カット撮ることなので、撮影自体は大変なものではなかった。学校帰りに学生服姿で現れた彼は、持ってくるように頼んでおいた黒いシャツと黒いジーンズにすぐに着替えてくらたのだが、鏡の前からはなかなか離れようとはせず、ティーンエイジャーであれば誰もがするように、髪を整え、着こなしのことをしきりに気にしていた。デザイン案を簡単に説明したあとで、ぼくは飛び降りる高さを考え、彼の足にかかる負担を計算して、彼はまだやれると言ってくれたが、40回ほど飛んでもらって終わりにした。
十七歳の地図 Album back cover (1983)
その頃の尾崎くんは学校のことでもめごとを起こしていると聞いていたので、ぼくはあえて学校のことには触れないようにしていた。そんなわけで交わす会話も限られ、飛び降りた際の着地音がスタジオに響き渡っていた以外は、いたって静かな撮影だった。バックカバーにはネオン文字のNOの部分や駐車場のストップゲイトなどのややネガティブな夕暮れ時の写真をあしらった。
尾崎豊 アウトサイドストーリー (1986)
雑誌の連載「YUTAKA OZAKI OUTSIDE STORY」は、彼がニューヨークへ行っている間のファンに向けての企画だった。撮影はできないので、ぼくは学生時代以来の絵筆を使ってせっせと尾崎くんのイメージを表現した。画材も作風もその都度まちまちで、それが定まらないうちに、中途半端な形でその連載が終わってしまったのはちょっと残念だった。しかし、この絵はのちに小説「幻の少年」の装丁に使われることになった。
尾崎豊 シンボルマーク IV
街路樹 (1988)
ティーンエイジ時代を終えて、モノクロだけという制約はそろそろやめにしようということで、この「街路樹』がジャケットが、表紙としては初めてのオフィシャルなカラー写真になった。だけどストレートな肌色はどうも直接的すぎる気がしてモノクロとカラーの中間のような表現方法を模索していたら、3M社のタングステン640がよさそうだった。何とおりかテストしてみると、ストロボ光で撮って、増感はしないほうが、粒子の具合や色の褪せた感じといいピッタリのイメージだった。そこでしばらくはこのフィルムを使うことにした。自然な移行だったので、意外とカラーになったという印象は薄かったのではないだろうか。
Live Core concert pamphlet cover(1988)
野尻湖へ行ったとき、黒姫山を望むと、雨上がりで全体が蒼く霞んでいた。それが尾崎くんのイメージと重なって、ぼくは数カット撮った。撮りながらわざとピントをぼかしたものもおさえておいた。現像が上がるとそのアウトフォーカスの具合がなんとも尾崎豊していて、東京ドームのパンフレットの表紙に使った。
Live Core concert pamphlet(1988)
放熱への証 1
放熱への証 2
このファイナルアルバムのデザインの結果をいちばん驚いたのはぼく自身だった。当然予測もできないことだった。いろんな秘密がこの二つのデザインの中に潜んでいるのを知ったのは、ぼくでさえずっと後のことだった。表紙になった草の上にねころんで空を見つめている撮影がぼくと尾崎くんの最後の仕事になった。
尾崎豊 コンサートポスター
Last Teenage Appearance (1985)
このポスターは告知のためのものではなく、キャラクター商品だった。コンサート会場で売られたものだ。尾崎豊の写真でもないこのポスターが商品として価値があるものるとは、スタッフは誰も思わなかったらしいが、ぼくは無理を言ってつくってもらった。結果はあっという間にソールドアウトだった。
A Tribute to Yutaka Ozaki "BLUE"
Concert Booklet Tropic of Graduation Tour
十代の活動期のツアーパンフレットの表紙は全て同じデザインのフォーマットで通した。3冊目あたりでは変えたいという気持ちの方が強かったが、いま見返してみるとやっぱりこのやり方がよかったと思う。
71/71 Original Albums Box Set
71/71 Original Albums Box Set
RECORDS analog LP BOX (2015)
うまく説明出来ないのですが、自分のデザインスタイルの中にあるアーティスティックな部分を引き出してくれたのは、尾崎さんの十代の3部作「十七歳の地図」「回帰線」「壊れた扉から」からだと思ってます。デビューからずっと、アートディレクション、写真、デザインの全てを一任されていました。タイポグラフィーにも果敢に取り組んでいた頃です。今、見返しても、あまり古くさくないのは、尾崎豊さんが持っている普遍性が表現されているのかもしれません。彼に出会わなかったら、僕のアーティスティックな表現手段は失われたままだったと思います。出会いとはそういうものです。
Promotional use only 7-inch single record
路上のルール b/w 失くした1/2
ダンスホール b/w I LOVE YOU
LIVE BEAT BOX (2012)
Driving All Night 12-inch Single cover (1985)
一瞬の動きが実に絵になる人だった。このシーン、実は、片膝をついて前にジッポーのライターを転がし、持っていた時計にキスをしているのだけど、そんなちょっとかっこよすぎるくらいの演出が過剰にならず似合う人でもあったから、写真を撮りながらぼくはいつも興奮していた。
壊れた扉から Through The Broken Door (1985)
front cover and poster
「壊れた扉から」のアルバム・デザインが完成し、全ての原稿を印刷所に入稿してしまったあとで、やっと全曲入りのカセットテープをもらった。スタッフが帰ってしまった誰もいない事務所で、それを聴き終え、いちばん心に残ったのが「FORGET-ME-NOT」だった。この曲が持っているせつなさには、まいってしまった。ひとことでいえば、大人になっていくことの大変さそのものが凝縮されているような気がして、考えさせられたのだろう。この恋の歌の中には、人々が暮らしを築いていく様子が見え、忘れな草の子供を育てる大変さが見え、この先もずっと、つらくても逃れることができない仕事が見えるようだった。こんな曲をまだ19歳の家庭を持った経験のない彼が歌ってしまうことが驚きだった。まいったなあというのが本音だった。
Through The Broken Door (1985)
inner cover
「壊れた扉から」というタイトルのイメージはぼくの中では飛び散るガラスの破片だった。でもよく考えてみると、一般的には、ドアにはあまりガラスのイメージはないのかもしれない。この頃は飛び降りる姿のシルエットの次にこのスターティングスタイルの別パターンをしばらく彼のロゴのように扱った。この枯れ葉は尾崎くんの分身のように、いろんなところに登場するのだが、撮影が済んでも、ぼくはこの葉っぱが、何だか捨てられなくて、大切に取っておいた。尾崎くんに関するものに限って、アイデアスケッチといい版下といい、ほとんど不要とも思えるものが大切に取って置いてあったのはなぜなのだろうか。
Last Teenage Appearance LP (1987)
「LAST TEENAGE APPEARANCE」というタイトルはこのアルバムがレコーディングされる以前にツアーのタイトルとして、なぜかぼくがつけていたものだった。当時のカラーコピーはまだ完成半ばでノイズが多くライブの荒削りな感じにピッタリだったので、わざと全ての写真をカラーコピー化して使った。
Last Teenage Appearance CD 1987
Last Teenage Appearance poster (1987)
OZAKI symbol mark I (1983)
OSAKA STADIUM volume 1 volume 2 cd (1995)
OSAKA STADIUM poster (1995)
GRADUATION b/w SCRAMBLING ROCK'N'ROLL (1985)
12インチシングル「卒業」のジャケットは尾崎くんとの仕事の中でも特に気に入っているデザインだ。英詩を表紙に大きく扱ったデザインなど、誰もやっていなかったから自分でも新鮮だった。このロック史に残るような曲のデザインを担当した者としては、それが最近になってもメディアで扱われることも多く、少なくとも変なデザインにしてなくてよかった、というところが本音だ。
BIRTH TOUR 1991 tour booklet cover (1991)
Mauris sit amet tortor.34
BALLAD BEST (2011)
ALL TIME BEST cd (2013)
LAST TEENAGE APPEARANCE dvd (2013)
Mauris sit amet tortor.3
TEENAGE FILM 625 DAYS dvd (2005)
625 Days Book + -
Film Concert Book (1986)
アメリカに渡った尾崎豊の活動休止中に企画された全国規模のフィルムコンサートのためのパンフレット。ところどころ出てくる数字は彼がデビュー以降活動していた日付けをデザインの要素として使ったもの。音のカバーとは違って映像そのものが商品であるから表紙は何も語らない感じにした。たぶんこの頃、ぼくは現代アート風のものにもかぶれていたんだと思う。
625 Days Book + -
Film Concert Book (1986)
625 Days Book + -
Film Concert Book (1986)
13/71 The Best Selection CD (2008)
35 - 47
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